DERAMレーベルからリリースしたファースト・アルバムは全く売れませんでした。
そのため、デヴィッド・ボウイは音楽活動から一時的に身を引くことになります。
その間、仏教に傾倒したり、パントマイムに打ち込んだりしていました。
この期間、特に重要だったのはマイムアーティストのリンゼイ・ケンプとの出会いです。
ボウイはケンプのステージに参加し、演劇表現を学んでいくことになります。
それが後のジギー・スターダストやアラジン・セインの基礎を作り上げたのでした。
さらにケンプとの出会いは、ボウイの恋人ヘルミオーネ・ファージンゲールとの出会いに繋がっていきます。
1968年9月、ヘルミオーネとトニー・ヒルの3人でザ・フェザーズの前身であるミックス・メディア・グループ:ターコイズを結成。(トニー・ヒルに変わってジョン・ハッチンソンが加わり、ザ・フェザーズとなる)
音楽、パントマイム、朗読等の様々な活動がボウイのアーティストとしての感覚に磨きをかけていきます。
……
程なくヘルミオーネと破局し、1969年5月、デヴィッド・ボウイはベッケナムにアート・ラボを設立します。
スペイス・オディティに参加したリック・ウェイクマンもこのラボに参加していたと言われています。
ベッケナムでジョン・ハッチンソンとデモ用に収録したのがベッケナム・テープとして知られることになります。
……
デヴィッド・ボウイの音楽性は上記のような様々な活動によって、アコースティック・ロックとして形をみることになります。
アルバムの3つの名前
現在では「スペイス・オディティ(Space Oddity)」として知られるセカンドアルバムは実は3つの名前を持っています。
当初フィリップスと契約してリリースされたアルバムタイトルは「David Bowie」でした。
DERAMから移籍して再デビューしたアルバムだったからです。
また、アメリカではアルバムに「Man of Words, Man of Music」のタイトルがつけられました。
その後の再発時にアルバムタイトルは「Space Oddity」に変更されたのです。
そして、あたかもこのアルバムがファースト・アルバムであるかのようなプロモーションとなっています。
DERAMから発売されたアルバムがお世辞にも褒められたものではないために、このようなプロモーションとなったのかもしれません。
(以下、このアルバムを「スペイス・オディティ」と呼びます。)
サウンド
冒頭で記したように、このアルバムはフォーク・ロック風の作品です。
ファースト・アルバムでは仰々しいミュージカル指向の作風でしたが、「スペイス・オディティ」はシンプルなサウンドに趣向を変えています。
プロデューサーはトニー・ヴィスコンティが起用され、デヴィッド・ボウイの今後の活躍の基礎が形作られていきました。
トニー・ヴィスコンティーはシングル曲「スペイス・オディティ」のプロデュースだけを嫌い、この曲のみプロデュースをガス・ダッジョンが担当しています。
注意して聴くと「スペイス・オディティ」のみが非常にシンプルに仕上がっていることが分かります。
収録曲
Space Oddity
Side-A
- Space Oddity
- Unwashed And Somewhat Slightly Dazed
- (Don’t Sit Down)
- Letter To Hermione
- Cygnet Committee
Side-B
- Janine
- An Occasional Dream
- Wild Eyed Boy From Freecloud
- God Knows I’m Good
- Memory Of A Free Festival
このアルバムの曲はデヴィッド・ボウイの身近から生まれました。
恋人ヘルミオーネとのことを映し出した曲は「Unwashed And Somewhat Slightly Dazed」「Letter To Hermione」「An Occasional Dream」の3曲含まれていますし、ラボの運営のため開催したフェスティバルのことを歌ったものが「Memory Of A Free Festival」です。
友人のガールフレンドのことを取り上げた「Janine」もあります。
雑多でまとまりのないアルバムですが、ボウイの若さと生活がストレートに反映された貴重な記録と言えるでしょう。
特筆すべきなのはやはりシングル曲「Space Oddity」です。
この曲からデヴィッド・ボウイは比類ないアーティストとしての階段を歩んでいくことになります。
関連アルバム
SUSSEX UNIVERSITY LIVE 1969
冒頭で記したベッケナム・テープはサイモンとガーファンクルのようなシンプルなアコースティック・サウンドの録音です。
このテープは曲順を変更して編集された輸入盤として日本に入ってきました。(BLACK PANTHERレーベル)
しかし、完全版ではなく、「Lover To The Dawn」(後に「Cygnet Committee」となる曲)が収録されていません。
このアルバムの収録日付は11.2.1969.となっています。
これはなぜか間違っています。本当は1969年の4月のはずです。
SUSSEX UNIVERSITY LIVE 1969
- Space Oddity
- Letter To Hermione (I`m Not Quite)
- Janine
- An Occasional Dream
- When I`m Five
- Love Song
- Ching-A-Ling
- Life Is A Circus
- Conversation Piece
このうちの数曲は「スペイス・オディティ」(40周年記念盤)でも聴くことが出来ます。
また、完全版はブートレグで発売されています。
デヴィッド・ボウイのアンプラグドはとても新鮮なので、見つけたら是非聴いてみて下さい。
© lin
参考文献
- 『地球音楽ライブラリー デヴィッド・ボウイ』TOKYO FM 出版 、2004年。ISBN4-88745-098-2。
- デヴィッド・バックレー『全曲解説シリーズ デヴィッド・ボウイ』前むつみ・森幸子(翻訳)、株式会社シンコーミュージック・エンターテイメント、2006年。ISBN4-401-63026-2。
- 『CROSSBEAT Special Edition デヴィッド・ボウイ』株式会社シンコーミュージック・エンターテイメント、2013年。ISBN978-4-401-63809-3。
- 『KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集デヴィッド・ボウイ』株式会社河出書房新社、2013年。ISBN978-4-309-97795-9。
- パオロ・ヒューイット『デヴィッド・ボウイ コンプリート・ワークス』太田黒奉之(翻訳)、TOブックス、2013年。ISBN978-4-86472-202-4。
コメント